【小話】いつかのプディング【3】

とある女調理師とイイ騎士の話、第3話。
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「メドグイスティル、応接室に紅茶を頼む。とびきり熱いものをな」
「わかりました! お運びしますね」

地吹雪の舞う中では気付かなかったが、中に招かれあらためて見れば、オルシュファン卿の甲冑には竜のものと思しき返り血が点々と散っていた。この人もまた、何かのため、誰かのために戦っている……当たり前のことではあったが、その気付きはやけに頭へ居座る。

さてこちらが招かれたというのに、卿は先の戦果についてを兵たちと共有することに忙しく、用件を聞ける状態ではない。わたしがもう半刻遅く到着していればそんなこともなかったのだろうが、手持ち無沙汰をうまく隠せないまま、コランティオと名乗る近侍らしき兵が手早く卿の武具を外していくのをぼんやりと眺めていた。重たげに撓む鎖鎧、あたたかい室内で結露し始める足甲、戦いの最中とはすこし違う音がゆっくりと耳に届く。
そこから流れるように思い出すのは、異端者によるウィッチドロップでの襲撃。カーバンクル・トパーズが捌ききれなかったアルドゥリクの剣撃を魔導書の背でどうにか弾き(あとで下甲板層の修理屋とク・リヒャにしこたま怒られた)、その勢いで思わず雪に膝を着いた瞬間。頭を揺さぶられたせいで鈍色の剣が曇天の空にぼやけ、次の狙いを定められないまま、立ち上がろうとする足が竦んだこと。そして同時に、とても、とても遠くから閃いたように感じられた銀剣の刃音。決して大げさではなく、あの銀剣は、長い長い憂鬱の折り重なった、かつての見慣れた曇天、それすらも切り開いたように見えた。

――待たせたな!ひとまずこの場を収めるぞ!

そうだ。あの時、彼は確かに私を守ってくれた。安堵しなかったと言えば嘘になるし、もちろん感謝もしている。だが、私は知っている。私が守られたのは、私がよそから来た強く自由な冒険者の肩書を持っていたからだということを。しがない皇都の下女、それも、異端の疑惑を向けられた男を父に持つ者に対する素振りでは決して、無い。……心を強く持たなくてはいけない。あの衒いない笑顔と掌のあたたかさを、取り違えてはいけない。あの銀剣の閃きは、今必死に取り繕っているよそ者の顔にだけ向けられた好意の輝きなのだ。何に阿らず自由であり続けるため、何に依らず両の足で立ち続けるため、冒険者やレストラン・ビスマルク筆頭調理師という輝かしい肩書を掲げ、それに恥じない働きを続ける……三国では息をするように出来ているはずのことなのに、この怯えと緊張はまだ、不思議なまでに御しがたい。

「待たせたな!」
「! ……あ、はい!」

思い出していた台詞と同じ言葉が耳に入り、はっと我に返る。随分長い間、ぼうっとしてしまっていたらしい。

「あちらに行くとしよう、ここでは邪魔が入るのでな」
「承知いたしました」

一度表に出るよう促され、中に居た人々に一礼をしてから退出する。お前は律儀だなと笑う卿の声が、地吹雪の中から軽やかに響いた。

通されたのは別棟のちいさな応接間だった。石造りの暖炉では薪が賑やかに爆ぜている。暖炉に風のシャードがしっかりと配置されているせいだろう、あたたかく、しかし澄んだ通りのよい空気がたちまちのうちに胸を満たす。

「さて……突然に呼び立ててしまってすまないな。いずれお前とは杯を交わしつつ熱き語らいの時間でもと思っていたのだが、まさかここまで早くにその時が訪れるとは!」
「……ええと……?」

まるでわたしが男の騎士であるかのような物言い、言葉の真意をはかりかねて戸惑いを隠せずにいると、メドグイスティル……紅茶のマグを二つ手に持って現れたスモック姿の女性が呆れたような眼差しで卿をたしなめ、こちらにフォローの言葉をかけた。

「もう、オルシュファン様! 誤解しないでね、ドギィさん。あなたが調理師をしてるって私が教えちゃったの、そしたらオルシュファン様、どうしても頼みたいことがあるんだって大騒ぎなんだから。お忙しいとは思うけど、お話だけでも聞いていってあげて」
「お前にそう喋られては型無しだぞ、メドグイスティル?」
「それは失礼しました、ごゆっくりどうぞ」

照れたようにマグを受け取る卿の姿としたり顔で出て行くメドグイスティルの後ろ姿を見比べる。ここは自分が思っているよりも息苦しい場所では無いのだなと少しだけ安堵し、彼女に敬意を込めて、淹れてもらった紅茶を熱いうちに一口すすった。クルザス茶葉の紅茶にサンレモンの果汁と皮のマーマレード、それにバーチシロップがたっぷり入ったもののようだ。革のなめしにも使われるほど渋の強いクルザス茶葉の紅茶は水色もかなり濃いが、サンレモンの果汁がそれを上品に薄めてくれている。バーチシロップはサンレモンの酸味を損なわないやさしい甘さに加え滋養も強い。卿のように身体をよく動かす人を気遣った飲み物であることはすぐに分かる。……以前、卿に礼をしたいというオレールからの依頼に応えるため、彼女伝てで卿にワインを差し入れしたときも思ったことだが、メドグイスティルの料理の腕は確かなはず、それについては今日このときにも確信を得た。だからこそ、マスター・リングサスから依頼の話を聞かされた時からずっとある、ひとつの疑問が頭を離れない。

「オルシュファン卿」
「うん? どうした」
「何故、わたしなのでしょうか?」

【4】へ続く


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